ディスカバー・クイーンズ・レクイエム 第5回(つづき)

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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆働き者のバンドのロジャーさん

ごきげんよう、
ぶらあどびじょんです。

今回は、クイーンが1980年代前半の
クイーンの活動についておさらいをします。

この時期のピークは1985年のライヴ・エイドです。


伝説の証 ロック・モントリオール1981&ライヴ・エイド1985 [ クイーン ]

さて、
ロジャー・テイラーは1980年代前半に
コンポーザーとしてバンドの中心人物になります。

ドラマーとしてはたいそう珍しいことです。

ア・ヒューマン・ボディが発表された頃は
その過程の重要な時期です。

ロジャー・テイラーの
ソロ・アルバムもこの時期から始まりました。

1981年のファン・イン・スペース
1984年のストレンジ・フロンティア

これをクイーンの作品と併記すると興味深いです。

1980/6/30  ザ・ゲーム
1980/12/8  フラッシュ・ゴードン
1980/6/30-1981/11/25 ザ・ゲーム・ツアー(14カ国)
1981/4/6  ファン・イン・スペース
1981/10/26 グレイテスト・ヒッツ
1982/5/21  ホット・スペース
1982/4/9-1982/11/3 ホット・スペース・ツアー(12カ国)
1984/1/23 シングル レイディオ・ガ・ガ
1984/2/27 ザ・ワークス
1984/8/24-1985/5/15 ザ・ワークス・ツアー(13カ国)
1984/6/25 ストレンジ・フロンティア
1984/11/26 シングル サンク・ゴッド・イッツ・クリスマス
1985/7/13 ライヴ・エイド
1985/11/4 シングル ワン・ヴィジョン
1986/6/2 ア・カインド・オブ・マジック
1986/6/7-1986/8/9 マジック・ツアー(11カ国)

これから見てもわかるように、
クイーンの皆さんはとても良く働いています。
特にロジャー・テイラーは活躍しています。

この時期のヒット曲の多くはロジャー・テイラーの手によるものです。

レイディオ・ガ・ガ
サンク・ゴッド・イッツ・クリスマス(ブライアン・メイとの共作)
ワン・ヴィジョン
ア・カインド・オブ・マジック

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ライヴ・エイドの誤解

ちなみに、ザ・ワークス・ツアーは1985年5月15日まで
行われました。

1985年は日本公演でした。

5月 8日 日本武道館
5月 9日 日本武道館
5月11日 代々木体育館
5月13日 愛知県体育館
5月15日 大阪城ホール

5月11日の様子が映像作品でリリースされています。
タイトルは「We Are the Champions: Final Live in Japan」
ですが、この後に2回公演しています。

5月15日の大阪城ホールがツアー全体の最終日です。


WE ARE THE CHAMPIONS FINAL LIVE IN JAPAN(通常盤BD+解説書付き)【Blu-ray】 [ クイーン ]

そして2ヶ月後の7月13日がライヴ・エイドです。

久しぶりでもなんでもなく、
どちらかと言えばツアーファイナルですね。
ライヴ・エイドで演奏した
曲目も全てツアーで演奏していたものです。

ライヴ・エイドの際に
フレディ・マーキュリーが病気を自覚していたというのは
完全な創作であることは有名です。

しかし、ライヴ・エイドが
クイーンにとっての久しぶりの
ライヴだったというのも大きな誤解です。

ほんの2か月前までワールドツアーを行っていました。

ただ、そのツアーでクイーンは一区切りを
つけようとしていたとも言われています。

バンド活動やアルバム制作への意欲が低下していたとのことです。

そんなおり、ライヴ・エイドに出演し、
最高のパフォーマンスを本国の観衆の前で行いました。

バンドの一体感を取り戻したという逸話は
真実だったかも知れません。

ちなみに、ザ・ワークス・ツアーの英国での公演は
1984年9月です。

ライヴ・エイドは、およそ10ヶ月ぶりでした。

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