米粒写経サンキュータツオはやはりタダモノではなかった 2019年11月11日(月)

2019-11-25 at 1:50 PM

事件は番組冒頭で起こりました。

今日のお便りテーマは「1」、この日は11月11日で1年で1度だけ1が4つ揃う日です。
最初にある男性からの投稿が紹介されます。

「先週金曜日のエンディングで月曜日の予告の際に1年で1度だけ1が4つ揃う日と彩子さんが言っていたのを聞いて、思うことあり、居ても立ってもいられずこれがテーマに沿ったものでないことは重々承知の上でとりあえずメールすることにしました。で、思うことというのは、なぜ、一年で一度だけ一が四つ揃う日の後に、更に今年の場合は令和元年なのでもう一つ一が増えて五つ並ぶ日と言わないのか、(ここでタツオさん失笑)これを今年逃したらまた元号が変わるまで言うチャンスはないんだぞということです。と勢い込んで叫んでみたもののくだらないですね。実にくだらない。くだらないことはわかっていますが、先週も勝手に国語審議委員会なんて立派な企画を行い言葉の大切さ面白さを追求しているタツオさん、もしかしたらそりゃそうだと納得してくれるのではないかと一縷の望みを託してこうしてメールしたわけです。ということで、今この瞬間から今日は一年で一度だけ一が四つ揃う日、更に今年の場合は令和元年なのでもう一つ一が増えて一が五つ並ぶ日なのでテーマは「1」ですと変えようではありませんか。」

これを聞いて、タツオさんの第一声
「もう、満足しただろう、もう。もう十分だろう、読んでもらえて」
と、もう、の三連発。更に続けて
「元年でいいだろ、元年で」
ここまでが、やや怒気を含んだ口調でした。その後、冷静な口調に変わります。
「最近だとプログラム上、元号が付いても1年と書かせるところがあるのかもしれないですけれど、元号に関しては初年度は元年ですよ。これだけは動かせない。

このような、しつこいクレーマーはタツオさんは大嫌いみたいですね。
言葉の大切さ面白さを追求しているだけに、冗長な文章しか書けない投稿者も嫌いみたいです。
何しろ内容がない上に、論理的にも破綻しています。
しかも、クレームを述べ立てた上に、命令をしています。
タツオさんが嫌うのも無理からぬ事です。

そして、クレーマーに対してきっちりと正面から向かい、拒否をするラジオパーソナリティもなかなかいませんよね。
その意味では、サンキュータツオさんは骨のあるしっかりした論客です。
やはりタダモノではないですね。

この会話を受けてのゾロ目好きの人から投稿がありました。
レシートで1111円だとうれしくなるそうです。
レジの担当者に「いいことありますよ」と言われたそうですが、
投稿者は何もなかったそうです。
つまり、ゾロ目が出たことが「いいこと」で、それ以上のことは起こりません。

時刻の数揃いにしろ、スーパームーンにしろ、流れ星にしろ、四つ葉のクローバーにしろ、ドクターイエローにしろ、それを見たこと、見つけたこと自体が「いいこと」なので、それ以上の「いいこと」を望むのは欲張りすぎですね。
それが次第にパワースポット巡りになり、壺の購入になり、カルト教団にハマっていくようにすすみます。
タツオさんのような方は、そのようなものには絶対にハマらないです。

もっとも、米粒に写経するぐらいですから、もともとしっかりした信仰心をお持ちなのでしょう。

ということで冒頭のメッセージに対しての結論は「10年待て!」でした。

学問のスルメは「高等学校の国語教育について」

このコーナーでもサンキュータツオさんの主張はかなり理にかなって、先鋭でした。
平成30年7月に告示された高等学校学習指導要領で、令和4年から国語の授業で科目再編がされることになりました。
今は選択科目が国語表現、現代文、古典(古文、漢文のこと)の3つです。
必修は国語総合です。
それが、選択科目が国語表現、論理国語、文学国語、古典探求になります。

文学と論理が区別されているので、あたかも文学に論理がないみたいです。
しかしこれが大間違いで、文学には論理がなければいけません。
むしろ文学表現から論理国語は学ぶものですから、文学を軽視する人に論理的な文章がかけるはずはありません。
論理的に辻褄の合わないグダグダな文章しかないのは、文学が軽んじられているからです。

今の若い人たちは、以前よりよっぽど文字に接しているとタツオさんが主張していますが、まさにその通りです。

古典に関しては、必要派と不要派の意見が紹介されました。
必要派の意見は、ここに記すまでもなく、納得のいくものばかりです。


不要派はというと、辻褄の合わない子供じみた(あるいは子供の)ものばかりです。
「古典より優先度の高い教育科目がある。」
「国際競争に必要な世界標準の知識ではない。」
「企画書を書いたり発表したり議論をしたりするディスカッションの能力や英語や数学のほうがより大事だ。」
「古典は年功序列や男女差別など悪い儒教的マインドを刷り込むツールになっている。」

まず、教育科目の優先度はどれも同じです。
他の科目も古典と同じぐらい優先度が高いのです。
比較してあちらが上とか下とかはありません。
国際競争に必要な知識とは、自国の文化のことです。
企画書を書いたり発表したりする能力があっても、企画したり発表原稿の内容がスカスカであればディスカッションもプレゼンもできません。
英語も数学も、古典と同じぐらい役に立ちません。

何しろ、日本人が全員国際競争の場で生きていくわけではありません。
よしんばそのような場に出ていったとしても古典や日本古来の文化を知っている人のほうが尊敬されます。
古典を読んで悪い考えになるよりは、読まずに無知な状態でいるほうがよっぽど差別や暴力を是認する人間になります。

あなたの周りで、差別的暴力的な人は古典をよく知る人ですか、それともあまり知らなそうな人ですか?

他の不要論者の意見としては、
・将来何に使うかわからないし、不要だと思う。
・理系の自分には必要性を感じない。興味がなかったので授業は苦痛だった。その時間を数学や理科に使いたかった。
以上は十代の子供の意見です。(中学生と大学生)

あらゆる教科は将来何に使うかわからないし、好きになれない教科を受けるのが苦痛なのは当たり前です。
学問を好きになることができなければ、それは教育者側の失敗であり、子供の頃は学問が好きになるような練習をする時間です。

そして大人の意見がひとつ。
・古典が必要だと気づいたときにはだいたい忘れているので学び直さなければいけないので二度手間です。

古典を学ばなければならないのは、こんなふうに考えてしまう恥ずかしい大人になってしまわないようにですね。
子供の時の勉強は大人になったらだいたい忘れます。
学び直すとなると、古典に限らず二度手間なのは当たり前です。
二度も三度も学び直すからこそ、面白いのであって、効率だけを目指すのは怠惰なだけです。

タツオさんが例にあげた「big tree」の話はわかりやすく興味深かったです。
連体詞「おおきな」
形容詞「おおきい」
これらの言葉の意味するところの微妙な違いの説明ですね。
そして、「ありがとう」を意味する「おおきに」も語源は同じということでした。

この日はここまででお腹いっぱいでした。
ちなみに
すっぴんインタビューは俳優・ダンサー・振付家の舘形比呂一さん。
サブカル用語の基礎知識はトミヤマユキコさんのバディ漫画でした。